人は結局批判を受ける

WYDです。

 

僕の好きな例え話があります。

 

 登場人物は2人と1頭

“おじいちゃん” ”おばあちゃん” ”ロバ” です。

 

ある日みんなで歩いてると

「おいおい、ロバは乗り物なのになんで乗っていないんだ。

 あの夫婦はロバを全然わかっちゃいないな(-。-)y-゚゚゚」

そんな陰口を言われてしまいました。

 

 

そこでばあちゃんが乗ることになりました。

すると

「おいおい、あのばあさんは女ってのを武器に

 楽しようとして一人だけ乗ってるぞ!」

そんな陰口を言われてしまいました。

 

 

気を悪くしたおばあちゃんの代わりに

今度はおじいちゃんが乗りました。

すると

「おいおい、見て見ろよ、ばあさんだけ歩かされてる。

 DVだよな・・・ヒソヒソ」

また陰口を言われてしまいました。

 

 

そこで2人で馬に乗ることにしました。

すると

「ロバが2人も乗せられてかわいそう!動物虐待!」

 

 

 

結局どんな行動を取ろうとも必ず批判をしてくる人々がいる

という例え話なのですが

その通りだなーと個人的に納得です。

 

 

これに対抗するにはどうしたら良いのだろう

ってのを考えると

 

なぜ本人がその行動を取ったのかという

『思い』が重要です。

それは本当に簡単な理由でよくて

 

例えば

おばあちゃんが一人で乗っているのは

足が悪くて歩けないから

おじいちゃんが体力をつけたかったから、だったり

 

誰も乗らずにロバを歩かせていたのは

重たい荷物を載せた帰りだから休ませたかった、とか

 

何かしら理由があると思うんです。

 

だから批判されることに対して『思い』があれば

こいつわかってないなーって跳ね返せる。

でも、それがなくてただただやっているのだとすれば

必ず起こる批判には屈してしまう。

 

 

では、なぜ人は批判をしてしまうのか。

 

これは実際にあった話と言われていますが

 

 登場人物は3人

”お父さん” ”子供” ”乗客” です。

 

ある日電車に子連れのお父さんが乗ってきました。

お父さんはゆっくりと腰をかけますが

子供はそのまま電車の中を騒ぎながら

走り回っています。

居合わせた乗客がしびれを切らせてこう言いました。

「あんた親なら子供をしつけたらどうだ!」

「・・・すいません、気づきませんでした。」

 

 

ここでまず思うのはそんなわけないだろう

こいつ知らないふりをしやがって!

と思ってしまいがちですが

 

このお父さんは本当に気づかなかったのです。

 

なぜならその日、お父さんは事故で妻を失い

悲しみに暮れていて頭が真っ白だったからです。

 

その事実を聞いた乗客は

それ以上お父さんを責めることはありませんでした。

 

 

人にあれこれいうのは簡単なのだけれど

 

なぜ相手がその行動をしているのだろう

これを考えながら過ごすと

ストレスが減るではないでしょうか。

 

ちなみに僕は

子供がワーワー騒いでいても子供ってそんなもん

と思う派ですが

 

 

寝てるときにいきなりパンチをされた日には

「この子は将来、総理大臣になる男だ・・・」

ここで恩を売って

ゆくゆくは財務省に入れてもらって天下りだ。

 

という設定にしています。

 

 

【結論】

パンチをしてくる子供は将来総理大臣になる。